これしかない。

事業が当たったりして、一定の収入を得ることができ、ある程度「上層階級」的な暮らしができるようになったら、是非オーナーになりたいクルマが出た。シトロエンC6。フランス繋がりで、こいつを。


モーターショーでは、人が多くてじっくり見られなかったのを覚えている。独特な大らかさと存在感が感じられるな、とは思ったが。


少なくとも日本の高級車の場合、例外として「センチュリー」を除き、どこかで見たな、という感じのものばかり。「クラウン」なんかは独自の世界を築いているし、先代、先々代の「マジェスタ」も個性的なテールが格好良かった。でも、やっぱり「ベンツ臭」がする。

少なくとも、80年代までの硬派なメルセデス車には「哲学」が感じられたけど、今は何か媚びたみたいな雰囲気だし、BMWアウディというのも乗ってみたら良さが判るのかも知れないけど、何か、ミーハーな感じが。他に、個人的に好きなのはジャガーのXJなんだが。あのインテリアだけでも十分。



俺の場合、ある程度のクルマとなれば、同じ奴とすれ違ったりするのが嫌なわけで。


それにしてもC6、魅惑的だ。何者にも似てないエクステリアに、独特な雰囲気のインテリア。これほど「独特」「個性的」「似てない」という言葉がふさわしい車、日本には滅多にないよね。しかも、高級車なのにメッキや木目は控えめで、嫌らしい偉ぶり感が全然ない。実物は結構大きくて、風格、気品もあったが。それにしても、細部という細部の完成度が抜群。でも、見れば見るほど不思議。しかもサッシュレスドア。
街中の視線を感じつつ、ゆったりと流す、ってのも気持ちよさそう。駐車場に置いておいたら「何てクルマですか?」って聞かれたりして。これも快感だろうなぁ。


でも、実際こういうクルマ、乗ることも買うこともないと思う。C6にしてもXJにしても、個人的に中古では買う気、ないし、中古の「ガイシャ」ともなると、何処が壊れるか判らないし。

それに、やっぱり日本みたいな狭い国で乗るとなると、彼らが本領を発揮できない可能性もある。デザインも確かに美しいけど、日本の風景に合うか、というと、微妙な気もする。やっぱり似合うのは、ヨーロッパの町並み。浮いてる、ってのも素敵だけど。




自分の場合、あくまで自分が天然の自分でいられて、毎日をしっかり支えてくれるようなクルマにしたいと思ってるわけで。もちろん自分の好みや趣向も大切だけど。好み、趣向という点であれば、SY31なんかは絶好の選択。でも燃費も悪いし、壊れそう。でも、それを許せるほどの愛着は持てるだろうし、最上のパートナーになってくれる筈。足、道具、という点では失格だろうけど、それ以上の存在になってくれそう。

例えにして表すと、中古のクラウンを買って燃費と故障に泣くんだったら新車のカローラにするし、月賦でクラウンを買って燃費と返済に喘ぐのであれば、一括で新車のカローラを買って幸せに過ごす、というふうなのが、自分の車における考え方。あくまで身分相応で、天然の自分にぴったり合うようなクルマ。


「趣味であり、最上の愛着」と「究極の道具」と、2極化してるが。


ついでに、弄る、気はない。


ノーマルのまま、いかにもオートバックスイエローハットで売ってそうな安っぽいアルミホイールを履いたクルマを時々見かけるが、これ、個人的には「デザイナーに対する嫌がらせ」としか思えない。決して自分はデザイナーではないけど、クルマのデザインたるもの、ノーマルという形態の時点で「完成」しているわけで、それをぶっ壊すだけになる社外アルミ。BBSとかのブランド物のアルミで上品に演出、ならまだ良いし、他車種流用(同メーカー、同車種間で)ならまだしも、あの手の安物アルミのデザイン、ノーマルをぶち壊す駄作ばかりだし。
あと、無駄なインチアップ。これも大いにおめでたい話。完成車の場合、エンジニアはノーマルのサイズで設計されているわけで、デザイン以上にクルマそのものをぶち壊すようなもの。

あくまでノーマルを活かして弄ったり、正統な性能向上を目指すのであれば、それは問題ない。むしろ、ベースとしての素質をその車に見た、のであれば、尚更。自分としても、「トヨタ車を買ってみたらあんまりに足が柔らかくて耐えられない」とかいう事情があったら、どんな大衆車でも営業車でも社外ショックを入れて足を固めたりすると思うし。


待てよ、弄らない、ってのも正当な「主張」だよな。そこを大切にするか。


以上、妄想。